「ゼロからの『資本論』」という本を読みましたので、感想を書いていきたいと思います。拙文ですがお付き合い頂けたら幸いです。

「資本主義国家日本」

資本主義という終わりのない競争社会にさらされ、生きづらさを感じている人も多いかと思います。

私なんてその最たる例で、今も怯えながらお金を稼ぐために日々社畜として労働を提供しています。

しかし私に限らず、働けなくなったら(貨幣を獲得できなくなったら)どうしようという恐怖は多くの日本人が持っているのではないでしょうか。

お金がなくなったらどうしよう、生活できなくなったらどうしよう。

本書はこういった考え方をさせる資本主義の構造に対する疑問を、マルクスの『資本論』からもっとラクな生き方を模索していきましょうよというものです。

資本主義では人間がモノに振り回されている

元来人間はモノを使うことによって生活がラクになったり問題が解決したりします。

しかし資本主義ではより良いモノを開発・販売するために、資本家が労働者を搾取する構図が出来上がっています。まさにモノ(商品)に踊らされる日々、それが私たちサラリーマンです。

人間のために経済を回すのではなく、経済を回すこと自体が自己目的化して、人間は資本主義経済という自動装置の歯車としてか生きられなくなっている。

これこそが、マルクスが指摘した物象化の問題点なのです。

※物象化:資本主義では人間がモノに振り回され、支配されるようになること。

「使用価値」のためにものを作っていた時代は、文字通り人間が「物を使っていた」。しかし「価値」を生み出すためにモノを際限なく作る資本主義では、立場が逆転すると指摘しています。

週休3日制の導入

マルクスは賃上げ以上に「労働日の制限」が重要だと資本論の中で説いています。

フィンランドではマリン首相が「週休3日、勤務時間6時間」を政策目標に掲げているようですが、まだ実現には至っていません。

しかしながらフィンランドは労働組合が強く、労働者にとっての権利が守られている国の一つと言えるかもしれません。実際平均的な労働者でも年間に4週間以上の夏休み、春・秋にそれぞれ1週間の休暇、クリスマスに1週間程度の有給休暇を取得しているようです。

労働組合がとにかく弱い日本、中小企業なんてそもそも労働組合すらなく、労働基準法さえ遵守していれば名ばかり管理職で長時間労働させても問題がありません。

総務として数年働いて、こういった労働者側のを働き方を守るのに弱すぎる日本の法律にしばしば頭を傾げています。

ケインズが描いていたバラ色の未来とまったく違う

近代資本主義経済学の祖であるケインズは、機械化が進んだ2030年ごろには人々の労働時間は週15時間程度になるかもしれないと予測していました。

しかし実際は新たな「ロボットの脅威」の頭角に怯え、人々はさらに労働に掻き立てられていると齋藤先生は仰っています。AIにより仕事が奪われる職種という一覧表は、ネット上や雑誌で見たことがあるかと思います。

「労働はもっと魅力的で、人生はもっと豊かであるべきではないか」

このマルクスの問いが、確かに行き過ぎた資本主義の前列で働いている日本人の我々が本来持たなければいけない問いなのかもしれません。

でも若い世代は「豊かさ」を再定義しつつあると私は思っています。

別に忙しくなるなら昇進しなくて良い、ある程度稼げるホワイト企業で余暇を充実させたい、生活が苦しくなるなら高い車や家は要らない。こんな考え方をする人がおそらくマジョリティになっているはずです。

こういう一見反労働主義的に見える考え方が、現在の過剰な日本人の働き方を少しずつ変えていってくれるかもしれません。

今のロシアや中国は社会主義国家ではない

マルクスのいう資本主義の問題を乗り越えた社会が中国やソ連だと言われても、まったく魅力を感じないですよね。

20世紀に社会主義を掲げた国の実態は、労働者のための社会主義とは呼べない単なる独裁体制にすぎなかった。それは、資本家の代わりに党と官僚が牛耳る「国家資本主義」だったのです。

まさに社会主義の皮をかぶった「政治的資本主義」の国家がはびこっているのが現状です。結局はどの国家も資本主義が圧倒的主体なのです。

ベトナム、キューバ、エチオピアのように独立後に社会主義を掲げている国家は、一握りの官僚が労働者を支配する構図になっており、搾取する側が資本家→国家官僚に変わっただけとも言えます。

資本主義でのもとでの福祉国家の方が、マルクスの考えに近い

マルクスは資本主義に抵抗するうえで、国家権力の奪取や政治体制の変革は重要ではなく、経済の領域で物象化を抑えていくことが重要だと唱えています。

経済の領域でこの物象化の力を抑えていくことなのです。そう言うと難しく感じるかもしれませんが、要するに、商品や貨幣に依存せずとも生きていけるように、日々の選択の余地を広げていくということです。

実際私もアメリカのような超資本主義で生活してみたいという気持ちはなくなり、ドイツのように学費無料、医療も原則無料、子育て負担が少ない、介護サービスも手厚く失業手当・職業訓練も充実している福祉国家が良いなと思います。

財務省資料

その代わり税率は高くなり、国民が自由に使えるお金が少なくなることは免れません。

自由に使える金は少ないが、食いっぱぐれるリスクが低く貨幣を手に入れるための労働の必要性が弱い社会と、自由に使えるお金は多い(税率は低い)が働けなくなるリスクを極度に恐れる社会。どちらが良いのでしょう。

国家の在り方を考えるうえで、このバランスは非常に難しい舵取りを迫られると思います。

日本は防衛の問題もあります。すぐ隣には中国、ロシア、北朝鮮ととんでもない国がひしめいており、適切な防衛費を維持していく上では税収が必要不可欠です。日本は殺傷兵器の輸出が禁じられているため、大量生産ができず、多くの武器を輸入に頼っています。

物象化の力を抑え込もうとしたマルクスは、貨幣や商品が力を持たないような社会への変革を目指していました。

日本では左派的思考は(勉強不足もあり)ただ怖いと捉えられがちですが、このような考え方は実は南米では大人気なのです。

読めば読むほど資本家側でいたくなる

本書を読めば読むほど、いかに現在の資本主義経済が資本家にとって効率が良く、労働者側に不利な世の中になっているか考えさせられます。

現在労働者側の私たち。こういった現状を変えていくにはいくつかの選択肢があります。

①リベラルな考えを身につけ、そういった政治的なムーブメントに参加したり投票をする。

②現在のルールにのっとり、自分たちも資本家になる。

③政治家になり、ルールを変えていく。

まず③は現実的ではないですね、志を高く持ち万が一政治家になれたとしても内閣総理大臣までならないと経済政策や週休制などの大きな枠組みは変えていけません。

①は斎藤先生が読者に望んでいることでしょう、同じような考え方をもつ日本人が多くいれば流れは変わっていくかもしれません。

私は社会主義・左派的な考え方を学びつつ、②を実践し続けていきたいと思っています。つまり株式投資(投資信託)を続けることにより、資本家としてr>gの恩恵を受けるということです。

当然、人生におけるほとんどの行為は資産形成につながりません。それゆえ、コスパ思考を徹底させていけば、コミュニケーション、文化、政治参加、世の中の多くの活動は無駄なものとみなされるようになり、コミュニティや相互扶助は衰退し、社会の富はどんどん瘦せ細っていきます。

私はこの数年徹底的に資本家になることを追求し、そのためのコスパ思考を強めていきました。それと同時に自分が薄くなっていくような感触をずっと感じており、このライフスタイルには疑問を持っていました。

だから一番何も考えなくて良いオルカン投資法に行き着いた部分もあります。

給与はせっせとオルカンにつぎ込み、余暇で読書や筋トレ、小旅行や外食を楽しむという比較的ゆったりとしたライフスタイルを確立しつつあります。

本書を読んでいて、斎藤先生が望む世界とFIREしたい人々の望みが重なる部分があって興味深いものがありました。

「嫌な労働に人生を振り回されたくない」

FIRE民は自分達が資本家になることによって労働から脱出する、斎藤先生は労働のあり方を変えていけばみんなもう少し幸福になるのではないか。

両者に共通して言えることは、みんなが嫌な資本主義的な労働者スタイルをどうにかしたいという入り口は同じですよね。

しかしみんなが資本家になろうと躍起になると、資本主義社会はさらに加速しマルクスが掲げていた資本主義を超える社会を描いていることはより困難になります。

資本主義の終わりを想像するよりも、世界の終わりを想像する方が簡単である

それだけ世界は混迷を深めています。

資本主義批判だけでなく、やはり私たちはコミュニズムというユートピアを想像するために『資本論』を読むべきなのです

晩年のマルクスがロシアの共同体であるミールを参照しながら目指していた豊かさは、近代化や経済成長だけを重視するあり方から脱却して、人間と自然の共存を重視し、富の豊かさを取り戻すことを要求していたのです。

コモン(common)に基づいた社会こそがコミュニズムです。

わかりやすく言えば、社会の「富」が「商品」として現れないように、みんなでシェアして、自治管理していく、平等で持続可能な定常型経済社会を晩年のマルクスは構想していたのです。

私も誤解していたのですが、社会主義は国家が個人の様々な個性を無視して、無理やり画一化していくというイメージを持っていました。

実際マルクスが言っているのは、お互いそれぞれの得意なことで管理を手助けし、それぞれの良いところを活かして助け合おうという社会です。

今の社会のように、それぞれの人間がもつ個性をこんなに大きな経済格差につなげる必要性はどこにもないということです。

本書を読んでいて「社会主義」の本来の定義を理解できたような気がします。左派の主張に対し、今回学んだ資本論の考え方を基軸に正当性を考えられるかもしれません。

また私は本書を読んで、斎藤先生が初めて会った東出昌大さんとなぜ息が合ったのか良く分かりました。

東出さんは現在山でコミュニティの力を借りながら自給自足に近い生活をしていて、自然と斎藤先生が理想としている思想を体現した生活をしています。

東出さんも長い東京生活で行き過ぎた資本主義に疑問を持っていた一人でした。

私も現在の東出さんのライフスタイルは大好きでYoutubeは欠かさず観ており、真似こそはできないのですが自分なりに資本主義に対抗するスピードダウンの仕方を身に着けていきたいと考えています。

以上本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。

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