自己紹介

自己紹介

もくじ

名前

ハンドルネーム「チャンドラー」といいます。

名前の由来は、小説家レイモンド・チャンドラーと海外ドラマ「フレンズ」のチャンドラー・ビングから取りました。

出身地

生まれは富山県。名産であるホタルイカや白エビ、鱒寿司は大好物です!

チャンドラー
ホタルイカ美味しいよね!北陸で食べるとさらに別次元の美味しさ!

その後は父が転勤族だったため色んな場所を転々としていました。

大学はMARCHと呼ばれていた某大学の一つでしたが、都会のキャンパスでは無かったため、たまに新宿まで出るといつもお上りさん気分でした(笑)

新卒から現在まで

新卒で大手メーカーの法人部門に配属。

ちょっと辛かった話になります。

新卒で入った会社で、物流倉庫や工場・医療介護施設の新築営業を担当しました。

本当には戸建事業に関わって個人のお客様が一生で一番の買い物になるであろう「家」のサポートをしたいと思い入社したのですが、実際配属されたのは法人部門でした。

まあ社会人ではよくある話です。

その部門ではパンフレットやIR上の情報ではREIT(不動産投資信託)などの先端的な戦略を使った一見ダイナミックな仕事をアピールしていました。

しかし実際は一日数十件の飛び込み営業が主。

不思議と飛び込み営業自体は嫌いじゃなかったのですが、顧客の満足度が分かりづらく受注出来て当たり前の世界に「この仕事は人の幸せに繋がっているのだろうか」と毎日のように自問自答していました。

少しでも受注先の物流を効率化したいとか、工場を集約化することによって設備維持費を減らしたいとかそういった事を生涯のワークライフにしたいのだろうか...仕事は仕事とどうしても割り切れなかった自分がいました。

青臭いと思われるかもしれませんが、仕事で目に見える誰かを幸せにしたいと思っていた自分には本当にしんどかったです。

今思えば適応障害だったのかもしれません。

仕事はかなりハードでしたが、ボーナスは3年めで夏季賞与だけで100万円ほど貰え世間的には少なくない年収をいただいました。

しかしそんなボーナスを貰っても、心は空虚で常に心ここにあらずといった精神状態でした。

決定的だった出来事が、初受注したとある介護施設。

近隣住民の大反対に遭い、社会的に必要な建物であることはわかっていたけど、近隣説明会の度に怒ったり悲しんだりしている人達を見て、とても心が傷みました。

「自分がしたいことはこんなことじゃない」

心が叫んでいました。

次の仕事は社会的地位とかそんなのじゃなくて、自分が働くことによってお客様がちゃんと笑顔になってくれる仕事を選ぼうと心に誓いました。

中小企業に転職

知り合いの紹介でここはとても良い会社だよと教えてもらい、ある中小企業に転職しました。

実際入ってみて、従業員がそれぞれ個性を発揮して楽しく働ける現場でした。

一から技術を教えてもらい、いつしか自身を持ってお客様と接し信頼してもらえる土壌がそこにはありました。

色々ありましたが、そこで働かせてもらった数年間は僕は確かに幸せでした

給料が前職の2/3になってしまったこと、休みが少ない、土日休みじゃない、残業代が基本出ない、福利厚生がほとんどないなど社会的には待遇面はあまり良くないのかもしれません。

ただやっぱり目の前のお客さんが自分がしたことによって喜んでもらえるということが何よりもモチベーションになりました。

この職場で結婚相手とも出会うことができました。

プライベート・仕事ともに幸せではあったのですが、結婚前から収入面や将来への不安、奥さんと休みが全く合わない、そして年齢を重ねるにつれ一生東京で暮らしていくことへの疑問が浮かんできたこと等から札幌へのUターン転職を考えるようになりました。

奥さんとも十分話し合い札幌へいこうと決意。

そこから半年で転職することになります。

大手IT企業の北海道支社に転職。ところが...

転職先は奥さんに寂しい思いや不安な思いを極力させないよう

「土日しっかり休める、残業が少ない、給料が地方水準では比較的高い、知名度がある」企業に絞りました。

やはり有限会社に勤めていたこともあり転職活動はハードでしたが、ない気力・知力を振り絞ってなんとか一社内定をいただきました。

奥さんは自分の仕事がまだ残っているため、しばらく遠距離生活をしてから札幌に移動してくることに。

転職後も30歳という年齢からの異業種転職、早く仕事を覚えて奥さんを安心して迎え入れる体制を作らないとというプレッシャーから毎日張り詰めて会社に行っていました。

そして少しずつ仕事を覚え業務内容も広範囲まで任せられるようになるにつれ、日に日に自分の脳が思うように記憶し判断出来なくなっていきました

原因もわからず疲れのせいだと思い、帰宅してからすぐ布団に入るようにし9時間寝るようにしました。

それでも症状は日々悪化。

吐き気が止まらず動悸も常にし、毎日会社のトイレに駆け込んで吐き気が収まるのを待ちました。

そしてある日動けなくなってしまい、心療内科を受診。

病名は「うつ病」でした。

勿論うつ病はハウスメーカー時代の会社の同僚にもいましたし認知していましたが、まさか自分もなるとは思ってもいませんでした。

そして数日後、地下鉄にも乗れなくなっていることに気が付きました。

「パニック障害」です。

暗いところやすぐに逃げられないところで、急に動悸が激しくなり息ができなくなります。

この恐怖はなったことにしか分からないでしょう。

大好きな自分の車でのドライブも出来なくなりました。

とても仕事ができる状態ではなくなってしまい、入社後間もない会社を敢えなく退職。

そうすると今度は奥さんから離婚を切り出されました。

理由は色々あったそうですが、今でもそのほとんどを理解できずにいます。

こんな病状になった状態でとてもこの先も大丈夫だよと言えるはずもなく、離婚届に判を押すしかありませんでした。

一寸先は闇

現在は「無職・うつ病・パニック障害・離婚」という死のカルテットとも言っていい状態です(笑)

ここまで人間キレイに転げ落ちるのか、いつか笑い話に出来る日がきたらこんなに面白い話はなかなかないだろうと思います。

半年前の自分と比較するのが本当に悲しくなります。

特に離婚は自分にとって受け止めきれない事実でした。

人生は何が起こるか分からない、不幸や災いは誰にでも起こり得ることです。

「一寸先は闇」だと、骨の髄まで今は感じています。

だからこそいつかはまた自分の力で立ち上がり、今後はその渦中にいる人に寄り添えるような人間になりたいと心から思えるようになりました。

好きなこと

スターバックス

大学時代スタバでアルバイトしていたこともあり、今もスタバは大好き。休みの度に行って読書やネットサーフィンをしていました。行くととても落ち着きます。

海外ドラマ・映画

「TWENTY FOUR-24-」がきっかけだったかな、「プリズン・ブレイク」「ドクターハウス」「サインフェルド」「フレンズ」等高校生の時から海外ドラマはずっと観ています。

最近のオススメは「サバイバー:宿命の大統領」というキーファー・サザーランド主演のドラマが面白かったのでおすすめです!

また映画も大好きで名作と言われたものは結構観ています。

ロードバイク

乗るのもイジるのも大好きです。自転車を触っていると心が落ち着きます。

ビール・ウイスキー

大好きですが、今は病気のため大変残念ながら控えています。

ケンスキー
治ったらオススメのシングルモルトウイスキー紹介とかしたいなぁ...

ブログ運営理念

「なりたかった自分になるのに、遅すぎることはない」

ジョージ・エリオットという人の格言らしいのですが、ブログのタイトルにも自分らしい形に変えて採用させて頂きました。

うつ病を発症したのも、無理やり条件面で合わせた仕事が自分にどうしても合わなかったことが一因にあると思います。

色んなところにぶつかってボロボロになって生きていきましたが、自分を見つめ直して、なりたかった自分に少しでも近づけるよう生きていきたいという思いを込めて名付けました。

「自分なりに誰かの役に立ちたい」

人間には向き・不向きがあります。

自分は不器用な人間なので、ひょっとしたら世の中の9割の仕事は「不向き」なのかもしれません。

でも1割は向いている特性がきっとあるはずです。

そこをちゃんと自分の中に収めて、これからの人生を歩んでいきたいです。

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